| 「プロクターは自分自身から開放されるために信義を貫く」 キネマ旬報1997年4月下旬号 No.1220 インタビュアー:成田陽子 |
| 役者の中の役者と言われるだけに、この俳優のなりはいつもキテレツで、映画の中の方が普通に見えるほど珍奇なかっこうをしてくる。この日は大きな水玉模様の半袖シャツにアフリカ製のような巨大な首飾りに革の輪っかを手首と首に何重にも巻き、と書いても、それほどヘンではないのだが、現世から浮いているような彼の表情が加わると相乗効果が出て、実に珍妙なのだ。それはともかく・・・・・・。 「アーサー・ミラーがマッカーシー主義に抗議して、この物語を書いたとはいえ、現代も同じようなマス・ヒステリアや気味の悪い宗教団体の力が増している現象などを考えると、実に意義のある映画だと思う。最初に読んだ時は、役作りの作業に熱中していたために底に流れるメッセージには気が付かなかった。しかし繰り返して読むうちに、意識下で作者の言いたいことが洪水のように押し寄せてきた。 このジョン・プロクターという男の良心のジレンマをどう表すか、僕自身だったら死と引き換えにするほどの良心など持っていないだけに、これをいかに納得するかに努力した。プロクターは殉教者などではない。彼は彼の中心から開放される為に、信義を貫いたのだ。僕の生活を振り返れば、あまり誇りにあふれたとは言えぬ言動ばかり取り、時には、そのために心が麻痺してしまうこともある。しかし、時おり、意識が正常になり自分の不道徳さ、虚栄、不公平さを修正するなり、純化するように努力する。それが生きる上のバランスというものだろう。 特にプロクターの場合は、自分自身の死だけではなく、最も愛する人を巻き込んでしまうという巨大な犠牲が目の前にある。僕の予言では、この村全体が崩壊していくような気がする」 時に抽象的に、時に自分自身の状態と比較したりと、デイ=ルイスの返答も彼ならではのユニークな内容である。 ロケ班より半年早く現地に赴き、水道、ガス、電気のない小屋に住んで毎日カマで草を刈り、大工仕事をして " 役作り " に励んだ。いつもの実体験スパルタ式メソッドについて。 「まず当時の人々が最も重要に思っていたのは、宗教。その次は土地に対する観念だとおもった。アメリカの東海岸にたどり着き、ピューリタン教徒は、エデンの園を創り出そうとしたが、自然は厳しく、最初に人々は地面に穴を掘って生活したという。天国を求めて来た移民たちは、厳しい掟をかせとして身を粉にして働いた。僕は文明を後にしてボートに乗った瞬間から、役だけではなく、映画にたいしての巻き添え(involvemento)を逐行する決意がわいた。 ここでの生活は理想的だった。飛行機、ハイウェイ、雑音から逃れ、潮流を計り天候に注意して自然を尊重する生き方は、役作りにこの上ないアドバンテージをもたらしたと思う」 と目をしばたかせて答える。 アーサー・ミラーについては? (*インタビューの時は、彼がミラーの娘と結婚するなどオクビにも出さず、約一ヵ月後に電撃的ニュースが発表された) 「彼の存在はロケ・スタッフにポジティブな士気を駆り立てた。原作者が俳優をナーバスにするという感じは全くなく、誰もが、この特権に誇りを持った。彼の存在はいやでも重く、目立ったが、それが却って隠れることのできない正々堂々の正念場のチャンスを与えた。誰もが彼に見てもらうべく、大いに張り切って仕事をした。何も言わずに帰る日もあったが、彼が居るだけで撮影現場は活気づいたと思う」 と、安全なコメントに終始。 首のまわりのビーズの由来を聞くと、 「昔は異常にジンクスをかついだ。劇場で生活して居ると縁起かつぎの重症患者にたくさん出くわす。ある日、マグパイ(ハトの一種)の演技かつぎにうんざりして、今は異常なほど反ジンクス者になった。この首飾りは縁起かつぎではなく、プレゼントだ」 と、マグパイ談義をえんえんとしてくれる。こうやってデイ=ルイスは相手を混乱に陥れ、自分の本性を巧みに隠し通すのだ。 |