| ダニエル・デイ=ルイス インタビュー FLIX1993年12月号 vol.42 インタビュアー:川口敦子 |
|
| ―「エイズ・オブ・イノセンス/汚れなき情事」への出演を決める上で、スコセッシとの仕事という要素にかなり影響されましたか? D そう、とても大きかった。これまでの仕事ではなかったことなのだけけれど、今回に限ってはマーティンと仕事をしたいという欲求が他のどんな要素をも押し退けて優先されたといっていいと思う。幸運にも、そしてあくまで偶然の結果として彼が僕にニューランド・アーチャーの生を発見する機会を与えてくれた。ただスコセッシとの仕事だったから最善を尽くしたという部分があるのは認めるけれど、ニューランドに対する共感がなければ、たとえスコセッシのためでもここまでは懸命になれなかった、それもまた事実なのだけれど。 ―脚本と原作のどちらを先に? D 脚本を読んでから原作にあたった。イーディス・ウォートンは決して皮肉に通暁している人ではなかったと思う。でも彼女の生み出すキャラクターは、みごとな観察眼によって細部まで描きこまれていて、そこに皮肉のセンスが添えられている。しかも礼儀正しくやわらかな調子を手放さない。どこまでも人を裁こうとしない、そこが美しいと思った。それは彼女がささやかな人の真実に気づいているということだから。つまり人間とは欠陥に満ちているものだと彼女は知っているんだ。誇りある存在であろうとしても、道を踏み外してしまうものだと。アーチャーの場合にしても彼は本能的に社会が彼に課すルールを見抜いている、にもかかわらず抑え難い個の思いがあって、葛藤が生じるわけだけれど、ウォートンはそんな彼の在り方を裁こうとはしないんだ。むしろそのあやふやさを慈しんでいると僕には思えるんだ。 ―あなた自身はアーチャーをどうみましたか?彼の行いをすべて受け容れますか? D 人間として許せない部分があるかと?確かに彼は必ずしも常に正しい行いばかりをしているわけではない。けれどもそれが彼の人間性を落としめるとは思わないな。自らの行動が人を傷つけたと知った時、それでも自分を愛していると彼はいえなかったかもしれない。でも、人はしばしば、そうしたこと、なんにしても償わなければならないといった気持ちに駆られるようなことをしているでしょう。それを裁かなければいけないのかな。なすべきと思ったことをして、苦しんでいる人間を責めなければいけない?情熱の中で人は時に理に叶わないことをするし、むしろ醜悪といえるような振る舞いをしてしまうものだとは思わない? ―「マイ・レフト・フット」や「ラスト・オブ・モヒカン」に比べると肉体的な表現が制限された役だと思いますか? D 特にそういうふうに意識してはいなかった。極言すればひとりの人間であろうとする中で(役になりきるとか、演技という言葉をデイ=ルイスは徹底的に排除して語ろうとする)すべての行為が再生の過程で、本物といえるものはないのだけれど、僕としてはまず主観的であろうとしているんだ。彼の振る舞いを分析するとか、解体して肉体的な部分はといったように考えてはいけないと思う。もちろん身体的な作業は心理的なそれと同様に常にもとめられるものだけれど、僕としては個々に切り離すのではなく全体像として捉える努力をしている。「エイジ・オブ・イノセンス」は」確かに内向的なチャレンジであったといえるかもしれない。人も社会も複雑な規範の中、感情を露にしてはいけないような場に置かれていたのだから。そこで何かを表そうとする時、彼の苦悶が生じる。そういう分析も映画を振り返っている今だから可能なのだけれど、撮影中に考えていたのではないんだ。今、思えば肉体的な表現を許されない世界を作り上げようというチャレンジではあった。だからこそ赤裸々ではない動き、仕種の重要さを観客に気づいてもらえるだけのディティルをもって世界を構築する必要があった。 ―役作りの方法を話すのは苦痛ですか? D 僕の秘密だからね。どんな準備をしたかという話題はよく出てくるけれど(笑)、公にする必要はないと思うんだ。僕にとって最高の時間がこの部分にあるのだから。撮影の現場というのは大いなる矛盾を孕んでいる。つまりひとりで親密なプライヴェイトな世界を作り上げなければならない段階なのに、それを多くの人々に取り囲まれてしなければという側面がある。その意味で、既に撮影の段階で映画も僕も公のものになっている。撮影が終わってしまえばまさに公に属してしまうので、だから真にプライヴェイトな時間というのは準備の段階だけなんだね。その密かな愉しみまでも手放したくないし、その過程を説明しようとするだけでも最良の時間に対する冒涜にのように感じるんだ。第一、公にするにはあまりにも混沌としたプロセスでもあるし・・・・・・。誰か別の人間の生を占領してみるという幻想は、結局の所、どこまでやっても幻想の城に留まるものだし・・・・・・。いくら自分を無にしても完全に消し去ることはできないのだし・・・・・・。 ―スコセッシとの仕事については? D ミシェルともウィノナとも毎日顔を見合わせていっていた。ああ、今日も彼と仕事しているんだねと。彼と直々に話す権利があるという選ばれた者の気分を味わった(笑)。実は当たり前の、でも実際には稀な聖なる映画作りの環境を彼は提供してくれた。 ―ところで " Interview with Vampire " への主演をあなたの方から断ったというのは本当ですか? D 映画が製作されている今、この話をするのはフェアではないのではないかな。「エイジ・オブ・イノセンス」に別の人が主演していたらというのと同じくらい空しいことだとも思うし・・・。 ―個人的にはトム・クルーズよりはあなたに演じて欲しかったと思います。 D (含み笑い。言葉より多分、多くを語るこの表情の後、質問を遮って) あ、失礼、ひとつ言っておこうかなと思って。映画作りには巨大な責任感がつきまとう。同時に、それでも抑えつけられないようないたずらな気分、あるいは有害すれすれの要素ももっていなければならない。ちょうど鎖から放たれようとしている猟犬のような部分というのかな。こうした要求を満たすためには、とりわけ映画作りの初期の段階ではとてつもないエネルギーが必要だ。だから、これは僕の個人的な問題だけれど次から次へと出演作をこなせるとは思えなかった。ジム・シェリダンとの新作を終えてすぐに新たな一本というのはとてもできないと感じたんだ。それをしたら恥ずかしいものになったと思うし、僕を望んでくれた人々の期待に答えるものにもならなかったと思う。さあ、頑張ろうと取り組める状態ではなかったということなんだ。 |