| 「マイ・レフト・フット」のおかげで映画への情熱が甦ったんだ |
| スクリーン1990年6月 インタビュー:ヤニ・ベガキス 訳・構成/川口敦子 |
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| 「誰もが役作りの秘密を知りたがる。僕自身も人の演技を見て同様の興味を持つ。でも役作りの苦労を語った記事を読むとがっかりすることが多いんだ。だから、こういうことはできる限り話さない方がいいと思う」 オスカー主演男優賞部門では米映画界’トップガン’T・クルーズとの車椅子での熱演一騎打ちの末、見事栄冠を勝ちとったダニエル・デイ=リュイス。脳性マヒを克服し、作家・画家となったアイルランド人クリスティー・ブラウン役で「マイ・ビューティフル・ランドレット」から「エバー・スマイル・ニュージャージー」に至る変身神話に新たな1ページを加えてみせた。 その「マイ・レフト・フット」でののめりこみ演技の秘密をきかれてとび出したのが冒頭の発言だ。ダブリン近郊のサンディー・マウント・クリニックで8週間のリサーチを敢行。唯一、自由のきいた左足で描き、タイプを打ったブラウンそのままに絵もタイプもこなしてみせた。となれば’苦心談’にはこと欠かなかった筈なのだが…そんな彼のマルヒ厳守姿勢を説明するように、監督ジム・シェリダンはこんなエピソードを披ろうしている。 映画の冒頭、レコードに左足で針を置くシーンを撮影した時のこと。ダニエルの左足は最初のテイクで完璧に操られ、スタッフからは思わず拍手も湧き上がった。が、「もうひとつ何かが違う」と粘る監督。結局、早朝開始の撮影は夜8時まで続けられた。多分ここで監督が要求し、ダニエルが答えて追求したものとは、単なる変装、単なるカメレオン演技を超える’何か’だった。言葉にできないそれを常に求め、発見する辛さと歓びをかみしめてきたダニエルだからこそ、これみよがしの自慢話には「がっかり」してしまうのだ。 「ちょっと矛盾してるのはわかってるんだ。でも、演じる時、役と自分とが秘密を分かちあえる所まで親密になりたいと思う。その秘密を観客とも分かちあいたいと思う。が、その瞬間、もう自分だけのものではないって、奇妙な気持ちにとらわれてしまうんだ」 とはいうものの映画の準備期間中、監督共々、亡きブラウンの兄弟をアイルランドに訪問した折のことは、懐かし気に回想するダニエルだ。 「最初、彼等は僕を税金をとりたてに来た役人だと思ったらしい。で、頑としてドアを開けてくれなかった(笑)。でも、事情がのみこめると実にオープンにクリスティについて語ってくれた。彼を演じるなんて狂ってるなんていいながらね」 こうして「目覚める時も、夢の中でも自分自身の生活よりはクリスティーとしての生活に慣れ親しんだ」ダニエルが「マイ・レフト・フット」に賭けた想いにはいつもに増してただごとではない熱さが漂っている。 「正直言ってこの数年、心から仕事をやりたいと思える状態じゃなかった。ところがこの脚本はもう一度、やる気にさせてくれた贈物のようなものだったんだ」 ダニエルと映画の出会いは2年前、アイルランドで、今回の製作者で、かつてブラウンのエージェンシトも務めていたノエル・ピアスンと話をしたときにまで遡る。「ダブリンで15年間も地元のロックバンドのマネージメントをしてたときいてひとクセありの人間だなって覚悟はしていた(笑)。で、出会った晩、彼は何気なくブラウンの話をしてくれた。映画化の話なんてひと言もなかったけれど、僕はとても感激し、魅了されてしまった」 それから半年後、「ある日突然、紹介の手紙も電話もなくポストに脚本が投げ込まれていた」「読み始めるとどこかできいたなと思った。ともかくいっきに読破して、表紙にピアスンの名前を見つけ、あ、そうか!と彼に電話したんだ」 「予算がとれるかもわからず、ヒットするとも思えなかった」企画を製作、監督コンビと共にダニエルが進めたのはもちろんブラウンへの深い共感に支えられていたからだった。が、同時に、アイルランド人と組んでアイルランド人を演じること。「アイルランドで仕事がしたい」と熱望していたダニエルの血がさわいでも不思議はなかった。 そこで思い出すのがダニエル主演の『星条旗』(ビデオ題名「イングリッシュマン in ニューヨーク」)。やはり「英国ではないアイルランド映画」を強調していた監督パット・オコーナーの「彼(ダニエル)はアイルランドのパスポートを持ってるんだよ」の発言だ。 ’57年ロンドン生まれのダニエル。だが、桂冠詩人、はたまた作家ニコラス・ブレークの名で知られる父セシル・デイ・リュイスからアイリッシュの血を受け継いでもいる。となると、今回の映画で燃えた気持ちの裏には、パブリックスクール退学前後、反抗もした父との絆確認という意味もあったわけだ。 「確かにうまくいかない時期もあった。でも、今は父について話すのはとても幸福なことなんだ。私的な質問については答えないってクセがついているから、あまり多く語る機会はないけれどね」 ちなみにその父の死をきっかけにダニエルはイーリング・スタジオのボスとして知られる母方の祖父サー・マイケル・バルコンと「次第に親しくなっていった」と認めている。 「ただ彼も、女優をしていた母(ジル・バルコン)もこの世界の厳しさを身をもって知っていたから僕が自分で決意するまで、積極的に演技の道を勧めたりはしなかった」 昨年のナショナル・シアターでの「ハムレット」主演の際には「伝統の重味なんて元々、反発していたから無垢の状態で挑戦できた。が、次第に自分が受け継いだものの大きさを知り、ひとつの転換期にきたことを意識せざるを得なかった」というダニエル。その責任感から過労に倒れ、降板の試練にもみまわれた彼にとって、血やファミリーへの想いもこめた入魂の一作(マイ・レフト・フット)の「思いがけないヒットと好評」は新たな飛躍への力強い支えとなってくれる筈だ。 |